アマチュア衛星通信を始めようとすると、日本の老舗ソフト(Calsat32など)と海外のモダンなソフト(GPredictなど)の間で、用語の使い方が違うことに気づきます。特に、日本でよく聞く「送信固定」「受信固定」「衛星固定」という言葉。実はこれ、海外の主要ソフトにはほとんど見当たりません。今回は、この用語の正体と、その背景にある衛星通信の進化の歴史を紐解いてみます。
1. 用語の定義:何が「固定」されているのか
まず、これら3つのモードが何を意味しているのか整理しましょう。
- 送信固定: 地上局の送信周波数は動かさず、ドップラーシフトでズレていく受信周波数だけを追いかける。
- 受信固定: 地上局の受信周波数を一定に保ち、衛星でちょうどその周波数になるように逆算して送信周波数を動かす。
- 衛星固定: 衛星のトランスポンダ上の周波数を一定に保つため、地上局側で送受信両方のドップラーを補正する。
2. なぜ海外ソフトにはこの選択肢がないのか?
GPredictなどの海外ソフトや、現代の標準的な運用では、基本的に「衛星固定(Full Doppler Tuning)」が当たり前だからです。
リニアトランスポンダ(SSB/CW)での運用において、自分の送信も受信も両方リアルタイムに補正しないと、通信相手から見て自分の周波数がフラフラ動いてしまい、非常に迷惑がかかります。現代のPC制御(CAT制御)は非常に高精度なため、わざわざ「片方だけ固定する」という不完全なモードを用意する必要がなくなったのです。
3. 「固定」モードが生まれた歴史的背景
では、なぜ日本ではこれらの用語が定着したのでしょうか。そこには、PC制御が普及する前の「職人芸」の時代へのリスペクトが隠れています。アマチュア衛星の歴史は意外と古く、2000年以前から存在していたことを念頭におきましょう。
- 2000年以前の「手回し」時代: PCで無線機を操れなかった頃、ドップラーに合わせて送信と受信のVFOを同時に逆方向に回すのは、まさに神業でした。そのため、「送信はとりあえず固定して、受信だけ必死に追いかける(送信固定)」といった運用が現実的な妥協点だったのです。
- ハードウェアの制約: かつては無線機のCAT制御の反応が遅く、送受信両方を頻繁に書き換えると動作が不安定になることもありました。そのため、制御の負荷を減らすために「片方だけ動かす」という選択肢に合理性がありました。
- ハードウェアによる解決策(Sub Dial Link):PC制御が普及する直前には、無線機メーカー側もこの問題を認識していました。 例えば、衛星通信機能を持つ名機(TS-790やFT-736など)には、「サテライトモード」が搭載されており、メインダイヤルを回すと、内部で計算された比率に従ってサブ(送信側)の周波数を連動させて動かす「トラッキング機能」が備わっていました(今でもIC-9700にはこのサテライトモードがあります。)。これこそが、PCに頼らない時代の「ハードウェアによる衛星固定」の走りと言えます。
4. 運用の「進化」と用語の「固定」
- 2000年以前: 「送信固定」や「受信固定」は、技術的な限界からくる「やむを得ない選択肢」だった。
- Calsat32の時代: PC制御が可能になったが、まだ無線機側の追従速度や精度の問題、あるいは旧来の操作感に慣れたユーザーのために、それらの手法が「モード」として整理・実装された。
- 現代(GPredict等): ハード・ソフト共に「同時制御」が当たり前になり、不完全な補正モードをあえて選ぶ必要がなくなった。
5. 結論:用語は「進化の足跡」
結論から言えば、「送信固定・受信固定」という分類は、手動運用から完全自動運用へと移り変わる「過渡期」に、日本で論理的に整理された独自の実装と言えるかもしれません。現代のソフトウェア環境では、送受信両方のリグコントロールをONにすれば、それは自動的に「衛星固定」になりますので、基本的に現代では、衛星固定が標準です。
かつての先輩たちが、二つのダイヤルを必死に回しながらドップラーと戦っていた時代。その苦労を「モード名」として今に伝えているのが、Calsat32などの日本独自のソフトなのかもしれません。そう考えると、少しだけ「ガラパゴス」な用語にも愛着が湧いてきます。
